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父のことば


4月といえば桜の咲く季節。多くの方にとって新たな始まりの時ですね。私は、桜の季節になると、2010年に亡くなった父のことを思い出します。「父さんは最期に桜を見ることができたね」と時折、母や妹と想い返すことも度々あります。そして、父が口にした、食に関する最期のことばが今でも忘れられません。


父は、死をホスピスで迎えました。ホスピスのベッドに空きができたとの連絡を受け、急遽、それまで入院していた病院からホスピスに転入しました。3月初旬とはいえ、まだ冬の寒さが残る時期です。それでも、父はホスピスに移れたことに喜びを隠せない様子でした。病院とは異なり、ホスピス施設の中には生活する空間があったからです。また、転入前の病院の医者からの扱いが乱暴と感じたらしく、父はよく、医者に対する恐怖と、病気から来る体の痛みを訴えていたからです。よほど嬉しかったのでしょう、ホスピスの中庭に植えられた木になっている輝かしい黄色のレモンを目にして、「まだ生きられそうだ」というようなことを口にしたのを覚えています。そして、ホスピスで専門的な緩和ケアと生活空間が提供されるなど、人間としての扱いを受けたことに、ホッと安心したのでしょう。それ以降、父が医者に対する恐怖や、体の痛みを訴えることは無くなりました。

 

一方、病魔は確実に父の体を蝕み、父の状態は日々悪化していきました。転入時の父の状態から判断し、もうあまり長くはないだろう、と家族はホスピスの主治医から聞かされていました。「せめて最期に桜を見せてあげたい」という家族の強い気持ちも虚しく、それも難しいかもしれないという気持ちになっていました。


しかし、ここで、奇跡が起きます。カトリック系のホスピスでしたので、定期的に修道女とボランティアの方が病室を訪問くださいます。ある日、父の呼吸が浅いと母から連絡を受けた日の午後、修道女の方によるお祈りの後、ボランティアの方がハープを演奏くださいました。ハープの音色を聴くうちに、父は、わぁっと大きな声で泣き出したそうです。その時、父が何を感じたのかはわかりません。しかし、ハープの美しい音色をきっかけに、それまで父の内側に閉ざされていた、生や死に関する、あらゆる感情や気持ちが表面に一気に溢れ出たことだけは間違いありません。驚いたことに、それから父は、主治医の予想に大きく反し、3週間余りをホスピスで過ごすこととなりました。当初、目にすることが難しいだろうと予想していた桜も、開花のみならず満開を迎え、桜が散る頃に父は息を引き取りました。

 

この経験を通じ、私は、人智により人の寿命を予測したり、知ることなどは到底できないと考えるようになりました。日常生活や内面の豊かさが、どれだけ人の生命に影響を与えているかがわかったからです。そして、日常生活の中心である「食」もその例外ではないと考えます。

 

今でも時折父のことばを思い起こします。それは、亡くなる2、3日前のことでした。食も細り、衰弱している父に、家族から、何か食べたいものは無いかと尋ねました。すると、うわ言のようなか細い声で「リンゴ、モモ、ブドウ、ナツメ、クワ」ということばを発したのです。どれも、幼少期から青年期にかけて故郷の信州で口にした、思い出深い、懐かしい食べもののようでした。私は、急いで近くのスーパーに行き、それら果物を買い求めました。ようやく僅かに残っているリンゴを2個ほど買い、父のもとに急いで戻り、母が剥いて差し出しましたが、父はそれを殆ど食べませんでした。もう食べる元気がなかったのか、それとも季節外れのリンゴの味が美味しくなかったのか。真相はわかりませんが、私は、そのスカスカとした食感と食味の落ちたリンゴを口にしながら、最期に父が望んだものを、美味しく食べさせてあげたかった、と心から感じました。今でも時折、その時の気持ちが想い起されます。

 

老若男女、病気、障害を問わず、人々に健康で美味しい食を届けたいという皆の気持ちから始まったブライトキッチンズ。その活動を通じ、活動の源となっている自分の気持ちが、山や街を彩る桜の樹々や、父が残したことばの中から、徐々に明らかとなっていく今日この頃です。

 

by Anjun